映画『フォードvsフェラーリ』見に行って来ました。
夜のレイトショーですけどww 安いからねw
しかし、新コロナウイルス恐ろしい。
映画館 上映中 見てたのは私だけww 映画館借りきりでした^^
CG使わない監督のこだわり、本物の車でレースを再現し、圧倒的な臨場感を追求しています。
そしてフェラーリとフォードの因縁の対決
60年代 ルマンのこの話は有名ですからね。
フォード・モーターは売上アップのためにレース進出を考えました。イタリアのフェラーリ社の買収に失敗後、シェルビーを雇いレースカーを作って、ル・マン24時間耐久レースでフェラーリに勝ったのは実話です。
本気でレース優勝を目指した理由が「怒りによる報復」というのは流石アメリカですね。
今回は、その60年代の車
その玩具を取り上げたいと思います。
これがGT40 画像は借り物です。
残念ながら私 「FOD GT40」持って無いのです。画像はお借りしました。
いつか手に入れたい。そう願って20年経ってしまいました。
どうせ買うなら、ガルフカラーが欲しいですね。
シェルビー・コブラ 427 S/C
映画中 フォードは人材を集めキャロル・シェルビーが選ばれる。1959年のル・マン24時間耐久レースのアメリカ人の優勝経験者でF1経験もあり シェルビー・アメリカンを設立してレーシング・カーデザイナーとして活躍してました。
フォード社のシェルビー・コブラやシェルビーGT350やGT500、クライスラー社ダッジ・バイパー等の製作。
【ルージュ】はぁーい。ACコブラは、1960年代に生産・販売され、モーターレースシーンでも大活躍した名車です。
1965年には、289コブラでGT世界チャンピオンを獲得
289キュービックインチ(4.7 L)のV8エンジンが搭載されました。
最終的には、427キュービックインチ(7.0L)のV8に進化。 AC倒産後「ACコブラ」は「シェルビー コブラ」となりました。
ACコブラ/シャルビー コブラは、車好きな人にとっても憧れの1台。
その魅力は、コブラ自身のデザインや動力性能だけではなく、その歴史も大きな魅力となっています。
次の紹介は
今回の適役 フェラーリPシリーズ 「330 P4」
1966年のル・マン24時間レースで大敗を喫した屈辱を晴らすため開発された。フェラーリはライバルのフォードGT40に対抗するため・・
1966年の秋、3台製作された330P3の1台(S/N:0846)を改装して330P4の1台目が完成し、残りの2台は412Pへ改装された。P4は最初のP3からのコンバートを含め全部で4台製造された
4Lのエンジンに手を入れるだけで重量増加なく良い結果が得られると考えたが、実際には350=4.2L仕様エンジンも設計される。
1966年の12月、翌年のデイトナ24時間に備えフロリダのサーキットでテストが行われた。この時のラップタイムはそれまでフォードGTマークIIが持っていたコースレコードを塗り替える。
1967年のデイトナ24時間レース 24時間目のゴールラインを通過する際、1-3位のフェラーリが横一列に並びフォードの地元アメリカのサーキットで1・2・3フィニッシュを決め、前年のルマン24時間レースでの雪辱を果たした形になった。
ル・マン24時間レースはかたやアメリカの大メーカー、かたやイタリアの小工房の全面対決。陣容はフォードがマークIVを4台、対するフェラーリもP4を4台投入という真っ向勝負。
結果は、1位フォードマークIV、2〜3位がフェラーリP4というかたちで終盤を迎えるが、結局P4はマークIVをとらえることができずそのままゴール、フェラーリは優勝を逃す。
なお、1967年一杯で3L以上のスポーツ・プロトタイプが禁止となり、P4やフォードGT、シャパラルなど大排気量スポーツカーはルマンから姿を消し伝説になる。
フォードとフェラーリのライバル対決も面白いけど、フェラーリのライバルは・・やはりランボルギーニーでしょう^-^
で、ミウラと言えば、マツ毛の初期型
トラクターの製造販売やエアコンなどの事業で大成功を収めたフェルッチオ・ランボルギーニがフェラーリに対抗すべく1963年に興したランボルギーニによって1966年3月ジュネーヴ・モーターショーにて発表され、1966年から1973年までに約750台が生産された。
350馬力のノルマーレ仕様でもわずか980kgの車体を最高速度300km/hまで引っ張るとされた(実測データはミウラSで278km/hというデータがあり)
イオタ「J」
ミウラと同じ車体(シャシーは別のもの)を使用した実験車両に「J」車体番号4683(No.5048という説もある)があり、通称「イオタ」として知られている。
技術者のボブ・ウォレスが主導して製造したもので、この個体についてウォレスは潤滑系統のエンジン性能への貢献度、操縦性の向上、総合的な製造品質を調べるだけであったが、経営者であったフェルッチオは「やりたいなら好きにさせてやれ」といっていたという。
「J」のホイールはリアが(9インチから)12インチ幅となり、フェンダーもより広げられる。シャシーフロアをはじめとして車両全体に)航空機用アルミシートを使い軽量化を図っている。固定ヘッドライトにしたのもそのためで車重は882kgで、ミウラより360kg軽くなっている。
エンジンは圧縮比が11.5とかなり高めにされ、カムシャフトもハイカム仕様、エンジンとトランスミッションを別系統のドライサンプ方式で潤滑(スプリットサンプ&ドライサンプ)。またサイレンサーは装備されていなかった。
ランボルギーニが財政難になった1970年、「J」は"あるミラノの得意客"に販売される。1971年に、イタリアのレーシング・チーム『スクーデリア・ブレシア・コルサ』のオーナーで車のコレクターでもあるアルフレッド・ ベルポナーに渡る。
しかしベルポナーがステアリングを握る前にディーラーのメカニックがブレシアの環状道路で運転して事故を起こし、横転した後に火を噴いてしまった。ウォレスからは「浮きやすい」と注意されていた。乗っていた二人は一ヶ月の入院ですんだが、車両は修理不能の残骸となった。
こちらも伝説の車であります。
【ルージュ】今回の紹介は、この3台でっした。
では、皆さん また逢いましょう。またねー
映画『フォードvsフェラーリ』音が素晴らしかったです。内容も凄く感動。 映画っていいですね。
拍手いつも有難うございます。
ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村